大喜利におけるツボは、
いわゆる「笑いのツボ」や「ツボにはまる(ツボる)」といった言葉、つまり上記1の語義とは概ね同じような意味を持つ。但し、それらの言葉が個人の感覚を意味するのに対し、2の用例ではその場全体の雰囲気を指すことが多く、「ツボが合わない」「ツボがつかめない」「ツボが変だった」など、やや否定的な文脈で用いられることが多い。